板書が間に合わない子は「スマホで撮影」していい。書くことに疲れて授業を聞けない子への合理的配慮

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「板書」は想像以上に高度なマルチタスク


「先生の話を聞きながら、黒板の文字をノートに写す」。多くの人が当たり前のようにこなしているこの作業ですが、実は発達に特性のある子どもたちにとって、想像を絶するほど過酷なマルチタスクであることをご存知でしょうか?

黒板を見て文字を認識し(視覚情報の入力)、それを頭の中に一時保存し(ワーキングメモリ)、手元のノートに視線を移して、鉛筆をコントロールしながら字を書く(微細運動と目と手の協調)。学習障害(ディスグラフィアなど)や発達性協調運動障害(DCD)、不注意優勢型のADHDを持つ子どもにとって、これは脳のエネルギーを急激に消費する重労働なのです。

「書くこと」で力尽き、思考がストップしてしまう悲劇

その結果、教室で何が起きるのでしょうか。子どもたちは「ノートを書き写すこと」だけで精一杯になり、肝心の「先生が何を説明しているか」「なぜその答えになるのか」という話が全く頭に入ってこないという、本末転倒な事態に陥ります。

授業が終わる頃にはヘトヘトに疲れ果てているのに、ノートには解読不能な文字が並んでいるだけ。これでは「自分は勉強ができない」「授業は苦痛なだけだ」と自信を失ってしまいます。しかし、学校の授業の本来の目的は「ノートを綺麗に清書すること」ではなく、「内容を理解し、考えること」のはずです。

「スマホで撮影」は甘えではなく、当然の権利

そこで提案したいのが、「書くこと」を思い切って手放し、「聞くこと・考えること」に脳のリソースを全振りするという戦略です。

具体的には、黒板の内容を「スマホやタブレットで撮影する」という合理的配慮の活用です。学校現場ではまだ「写真を撮るなんてズルい」「手で書かないと覚えない」という根性論にぶつかることもありますが、それは定型発達の脳を基準にした単なる偏見に過ぎません。

視力が悪い人が黒板を見るために「メガネ」をかけるのをズルだと言う人はいませんよね。それと全く同じです。書くことに困難を抱える子がICT機器を活用することは、「ズル」でも「甘え」でもなく、他のクラスメイトと同じスタートラインに立つための「正当な権利(メガネ)」なのです。

「考える力」という本当の才能を解放しよう

板書を画像として残せば、家に帰ってから自分のペースでゆっくり見直すことができます。何より、授業中に「急いで書かなきゃ!」というプレッシャーから解放されることで、先生の顔を見て話をじっくり聞き、持ち前の豊かな想像力で「深く思考する」という余裕が生まれます。

「書くこと」への執着を手放すことで、子どもたちは本来持っている知的好奇心や「学ぶ楽しさ」を取り戻すことができます。苦手な作業はテクノロジーに任せて補い、得意な「考える力」を存分に伸ばしていく。そんな合理的で前向きな学びのスタイルを、堂々と選択していきましょう。